昆虫と同棲して思うこと。
田舎に引っ越して、寒さがめっちゃ強まった。
気温調節していない虫かごに入れているイナゴが引っ越し前暖かくなってようやく孵化したというのに、引っ越してめちゃくちゃ寒くて、結局餌も何も食べずにずっとじっとしている。
体長1㎜くらいで、何も食べずに生きていけるのはなぜだろう...
ってめっちゃ不思議なのだが、知り合いの卵の研究者曰く、
たぶん仮死しているんじゃないかと。
変温動物だから体暖めなくていいのはわかるけど、だからと言って、心臓まで止められるとは...。餌を食わずに生きていられるとは....
本当に同じ生き物なんかと思わずにはいられない。
心臓の位置胸になくて、背中にあるらしいし。脊髄とかがそのまま心臓なんかな。
我々義務教育を受けている人間としては、
「僕らはみんな生きている~生きているから楽しんだ~~・・・
おけらだって、もぐらだって、あめんぼだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ♪」と日本人のアミニズムというか八百万の神がいる感じを何度も聞いて、時には歌って体に染みつけている。
ただ、それは本当なのかと問う気持ちになった。
この低温によって仮死している彼らは、心臓が止まっているし生きていないしでも蘇る。
なんというか生死という概念が簡単に超越されていて、
人間の生死とあまりにその優先順位が異なる気がする。
みんなみんな生きているんだ友達なんだ~と言っても、
その人間のおなかの中では、何億もの菌が生まれては死ぬを繰り返し、
その頭の中では神経細胞がちかちか電気を通し、数日で死んでまた新しくなる。
果物は食べられることを前提に甘くなり、虫はある程度食べられることを前提に大量に生まれる。
江戸時代には死よりも大事なことが武士の中にはあって、
世界大戦をしてたときには、個より国家が大事だという思想があった。
その後実存主義が提唱され、生きていることそれだけで素晴らしい、それが一番大事みたいな思想が現在の主流の思想になった。
実存主義的な考えはとても好きだし、そのように生きたいと思うが、
そんな思想が広まったのは最近のことで、人類史全体のことを考えると、
もしかしたら人間においても、
生きていることそれだけで素晴らしい、一番大事なことって思うのは間違っていて、
生死より大事な何かがあるかもしれない。
それこそ、人ひとりひとりが蟻で、コロニーが人類としたときに、
コロニーの存続を第一に考えるのが大事なことで、
今実存主義がはやっているのは、コロニーを拡大する上で、最も生死を大事にすることがコロニー拡大するのに最適であるからみたいなことも考えられる。
少子化がはやっているのは、日本という風土、環境においてコロニーの最適な大きさにするために人類規模で考えるともう少し数を減らした方がいいって思ったからかもしんないし。
いなごのあかちゃんを見ているとそういうことをつらつらと考えてしまった。